諸々日記

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拾いものには福がある

少し間があきました。

今回は11500字です。
ジャンル:恋愛?

あらすじ:
失恋をした主人公は、その帰りにふと立ち寄った公園で、傘も差さず雨に打たれる女の子と出会う。
ほうっておくわけにもいかず、その子を保護する主人公だったが──

作品執筆の背景については、『更新情報』の「readmore」をご覧下さい。








 冷たい雨が降り続いている。
 僕は全身ずぶ濡れになりながら、公園のブランコに座っていた。
うなだれる僕。額や鼻の先、前髪など、いたるところから雫がぼたぼたと絶え間なく落ちている。
 長年連れ添ってきた彼女にこっぴどくフラれたのだった。社会人生活五年目、そろそろ結婚も考えていた時期だったのに、フラれた。
 僕が理由を聞いても答えないし、何を言っても彼女は右から左でまともに取り合わなかった。
 どうやら別れは決定的なものらしいと気づいてからの記憶が曖昧だった。
 気がついた時には、僕は自宅の最寄り駅で改札を通り抜けていた。時間からして僕は終電に乗ってきたらしかった。
 家路についたはずだったが、僕の足は自宅近くにある、この小さな公園の前で止まった。
 いくつかの遊具とベンチがある小さなスペース。園内に明かりはなく、道路を挟んで塀沿いにある街灯が唯一の光源だった。その暗さが何故か僕を惹きつけたので、公園に入ってみたのだった。
 だがささくれ立った心はいっこうに収まりそうもなかった。様々な想いが渦巻いて、それが更に心を荒ませた。
 そして極めつけはこの雨だ。みじめだった。
 辺りは真っ暗で、自分の身体も闇に溶けていくような錯覚に陥った。
 雨は僕の身体から体温を奪っていく。先ほどから震えが止まらない。だが一方で、寒さではなく、湧き上がるどす黒い感情がこの震えを引き起こしているようにも感じられた。僕は少し自分が怖くなった。
「何してるんですか?」
 後ろから突然声をかけられたのはそんな時だった。身体がびくりと反応し、錆び付いたブランコの鎖が、ぎい、と音を立てた。
 僕は上体をひねり、後ろを振り返った。
 黒い塊が僕を見下ろしていた。
 仰天した僕はブランコから転げ落ち、泥の中に尻餅をついた。その姿勢のまま、僕はブランコの向こうにいる黒い塊をじっと見上げていた。
 人だった。身体のラインから女性だとわかる。しかしその顔は、雨に濡れた長い髪が覆うように張りついていて窺うことができない。唯一、張りついた髪の隙間からわずかに覗く、光を反射した瞳がじっとこちらを見ているのがわかった。
 幽霊だと思った。
「大丈夫ですか? 服、汚れちゃいますよ」
 しかし、幽霊女は思いがけない可愛らしい声で、こちらを心配する言葉をかけてきた。混乱した僕は返事ができない。女は雨に濡れて張りついた髪をかき上げた。
 まだあどけなさの残る顔が露わになった。高校生か、大学生くらいだろうか。とても可愛い顔をしている。「女性ファッション誌のモデルをやってます」と言われたらそのまま信じてしまいそうな顔だ。
 その女の子はブランコを回って僕に近づいてくると、手を差し伸べてもう一度「大丈夫ですか?」と言った。ようやく僕は、女の子が幽霊ではないのだと気づいた。
 柔らかい手をとって立ち上がる。「ありがとう」と言うと、彼女は嬉しそうに笑った。だがそこからどうしたらいいのかわからない。何となく気恥ずかしくて目を逸らしてしまった。
 そもそもこの状況は一体何なのだ。
「こんな雨の中で何してたんですか? 風邪ひいちゃいますよ」
 女の子は気遣わしげにこちらを見ていた。そういう彼女も、傘も持たず濡れ鼠だ。可愛らしい顔によく似合っているフェミニンな服が、水を吸って台無しではないか。ワンピースが、水の重さで彼女の肌に張りついている。それに、暗くてよくわからないが、きっと泥で汚れているようだ。
「僕のことはいいから。もう夜も遅いし、帰った方がいい。君の方こそ風邪をひくぞ」
「泣いてたんですか?」
 女の子は僕の話には答えなかった。
「泣いてたんですか。目が真っ赤ですよ」
 僕は慌てて自分の目をこすってみた。気づかないうちに泣いていたのだろうか。雨と涙の区別がつかない。
 女の子がぶるっと身震いをする。はっとして話を元に戻す。
「寒いんだろう。ほら、早く帰りなよ。ご両親も心配してるよきっと」
「あの、そのことなんですけど。いいですか?」
「ん?」
「あなたの家にお邪魔しちゃダメですか」
 僕はしばらく固まった。何を言っているのかわからなかった。間を置いてから「なんだって?」と聞き返すのが精一杯だった。
 聞くところによると、自宅はないし、ここがどこかすら知らないという。まさかとは思ったが、嘘を言っているようにも見えなかった。唯一、名前だけは「メイコ」というらしいが、それ以外の情報が何もない。
 もしかしたら記憶喪失だろうか。どうするべきか思案していると、女の子が再度、うちにきては駄目かと聞いてきた。
「そんなの、駄目に決まってる」
「どうしてですか」
「どうしてって……若い女の子がそんなほいほいと知らない男の家に上がり込もうとするもんじゃないよ。酷い目にあっても知らないぞ」
「酷いことするんですか?」
「な、僕がそんなことするわけないだろ! 一般的な話だよ。世の中いい人ばかりじゃないんだ。わかるだろ?」
「でも、きっとあなたはいい人ですよね? 酷いことしないんですから。お邪魔しちゃダメですか?」
 警察に届けよう。僕は決心した。頭が痛くなってきた。今の僕に、フシギちゃんと問答をする精神的余裕はない。僕はメイコの手を取って歩き出そうとした。
「家に連れて行ってくれるんですか?」
 メイコは嬉しそうに話しかけてくる。
 違う、警察に連れて行くんだと言いかけたが、あることに気づいた僕は、はたと足を止めた。
「なあ、靴はどうしたんだ」
 彼女は裸足だった。
「ああ、靴はなかったんです」
 メイコはさも当たり前のようにさらりと言った。なかったって、あんた。
 僕は大きく溜息をついた。身体が震えた。雨は強さを増しているようだ。一段と冷え込んできた気がする。
 この寒さの中、裸足の女の子を雨に打たせたまま警察まで歩かせるほど僕は非情になれなかった。
「わかった。まず僕の家に行こう。すぐそこだから」
 そう言うと、メイコは本当に嬉しそうに僕の手を両手で握りしめた。彼女の手は僕の手と同じくらい冷たかった。
 まずは家で暖を取らせて、明日警察に連れて行こう。
 しかし、面倒なことになった。僕は目眩がした。
 

 
 その夜、夢を見た。
 フラれた彼女の夢ではなく、メイコの夢でもなく、見たのは猫の夢だった。
 小さい頃、雨の中震えていた子猫を助けたことがあった。その時のことを夢に見た。何で今更そんな夢を見たのだろう。
 助けた子猫は、探しに来たらしい親猫に連れられて僕の家を去り、夢もそこで終わった。
 夢の中の僕が最後に呟いた、「ありがとう」という言葉が妙に印象に残った。何故「ありがとう」なのかがよくわからなかった。
 
 僕は風邪を引いた。頭痛がして、目眩がする。熱は四十度もあった。こんな高熱を出すのは久しぶりだった。
「大丈夫ですか?」
 同じようにずぶ濡れになったのに、メイコは元気だった。
 昨晩はメイコをベッドに寝かせ、僕は床で寝ていたのだが、目覚めた彼女は僕がうなされているのを見ると顔を青くしておろおろするばかりだった。
 可愛い、と思ってしまった。
「そうだ、何か作りますね。お台所お借りしていいですか」
 こちらの返事も聞かず、てきぱきと調理を始めてしまったメイコ。
 食欲ははっきり言って皆無だったのだが、腹に何か入れておかないとまずいので、作ってもらえるなら頂くことにしよう。
 不意に胸が締めつけられる。以前も似たことがあったな、と思い出す。僕が熱を出し、彼女が病人食を作ってくれた。
 胸が苦しいのは、きっと体調不良のせいだ。自分に言い聞かせた。顔を両手で覆い、深呼吸。
 過去には戻れないのだ。わかりきったことなのに、その事実に涙が出そうになる。
「出来ましたよ。少しだけ起きられますか? ……食べさせた方がいいのかな。どうしましょう?」
「……ありがとう。そっちへ行くよ」
 台所からメイコが顔を出す。僕は顔を覆った両手で目をこすると、ふらつく身体でなんとか立ち上がり、メイコの用意してくれた食事を頂いた。
 美味かった。
 
 二日目になっても熱は四十度から下がらなかった。僕は病院へ行くことにした。
 熱は三日目まで続き、四日目にようやく薬が効き出したのか、僕は会社に行くことができた。本当はあと一日療養していたかったが、これ以上休んでいては同僚に迷惑がかかるし、僕の首だって危ない。
 幸い、職場の皆は僕の身体を心配して優しい言葉をかけてくれた。仕事は溜まりに溜まっていたが、僕は一日一日それを片づけていった。
 メイコは結局まだ家にいる。僕は病気だったので、一人で警察に行くことを促したのだが「ここに置いて下さい。せめてユキの身体が良くなるまで」と言って聞かなかった。
 ──メイコは僕のことを下の名前で呼んだ。女の子みたいなこの名前を。「きれいな名前ですね」と言って。前の彼女がそうしたのと同じように。
 問答をする元気もなく、看病してくれる人がいて非常に助かっているのは事実だったため、僕もそれ以上強くは言わなかった。治ってから考えようと思っていた。
 体調が落ち着いた時、メイコの身の上について彼女に尋ねてみた。彼女はやはり何も知らないという。でもメイコにはそれを気に病んでいる様子はなく、ただ僕の家にいたいという望みしかないようで、それが僕には不思議だった。
 僕は会社に復帰したが、メイコを警察に届けるタイミングを逃したおかげで、そのままずるずると奇妙な共同生活を送っていた。
 警察に届けていいのか迷いも生じていたのが一因だった。
 ずっと看病してもらっていたのに、治った途端にさようなら、というのはあまりにも人間味に欠ける行動に思われた。
 また、本音ではメイコと別れたくなかったのかもしれない。
 それが自分のワガママだとわかってはいても、今の僕にはどうすることが一番正しいのか判断がつかなかった。
 結局、僕は自分の中で決断が下せるまで、「家にいたい」というメイコの意思を尊重する以外の行動が取れなくなった。
 

 
 ──その日、僕とメイコの関係に転機が訪れた。
 会社に復帰してから最初の休みの日に、メイコと買い物に行くことにした。メイコの服がなかったからだ。下着類はコンビニで買ってこさせたが、服となるとそうはいかない。今は僕のTシャツとジャージで過ごしているけど、それだけではかわいそうだと思った。
「外に出るのなんて買い物に行く時くらいですし、気を使っていただかなくても大丈夫ですよ」
 メイコはそう言うが、はいそうですかというわけにもいかない。看病をしてもらい毎日食事まで作ってもらっているお礼でもある。
 僕は遠慮するメイコになんとか約束を取りつけた。メイコは申し訳なさそうだったが、それでもどこか嬉しそうに笑った。

 当日、僕らは二駅離れたショッピングモールまでやってきた。メイコには出会った初日に着ていた服を着させた。
 夕方から雨の予報だったが、モールに到着した昼の時点では、空は晴れて日差しが強く暑かった。一方ショッピングモールの中はクーラーが効きすぎていて寒いくらいだった。
 さっそく一階から順にショップを見て回る。メイコは初めて買い物に来た子どものようにはしゃいでいた。
「これかわいい! でも似合うかなあ。どう思いますか?」
「いいんじゃないかな。きっとよく似合うよ」
 これは似合うとか、これは形が良くないとか、そんなたわいもない会話をしながら僕たちはいくつも店を回った。一階を一通り見て回りながら、メイコの気に入ったものをいくつか購入した。
 モールに到着してから結構な時間が経っていた。休憩がてらにフードコートで何か食べることを提案すると、メイコも賛成してくれた。僕たちはフードコートのある二階へと上がっていった。
 フードコートでは家族連れ、カップル、グループなど多くの人々が買い物の合間の休息を楽しんでいた。彼らの座席を取り囲むようにフードショップが並んでいる。メイコも僕もそこまでお腹が空いているわけではなかったため、僕が提案して二人でクレープを買った。
 買ってからわかったのだが、今時珍しく、メイコはクレープを食べたことがなかったらしい。
 メイコは食べる前に何故か僕に伺いを立ててきた。もちろん僕に気兼ねする必要はないので、どうぞ、と手で示す。メイコはいかにもわくわくしている様子で、ぱくりとクレープにかじりついた。
 メイコは本当に美味しそうにクレープを食べていた。にこにこしていて、こちらが苦笑してしまうくらい、嬉しそうなのが伝わってきた。こんなに美味しそうに食べる人を見たのは初めてかもしれない。そんなメイコを見ながら、僕も自分の分をぱくついた。
 早々に自分のクレープを食べ終わりぼんやりとしていると、ふと、メイコの後ろ、テーブル席についているカップルが目に入った。彼らはテーブル越しではなく、片側に並んで座っている。女性が男性に話しかけながら、その肩にそっと寄り添っていた。楽しそうに笑っている。男性が女性の頭を撫でた。女性は男性を信頼して、全てを預けているのがよくわかる。
 僕たちもはたから見れば恋人同士に見えるのだろうか、と考えてしまった。
 考えてから後悔した。
「あれ? どうかしたんですか。なんだか顔が赤く……」
「き、気にしなくていいから。もう食べた? それじゃ、二階も見て回ろうか」
 僕は恥ずかしさを誤魔化すように席を立ち上がって歩き出した。突然のことに、メイコが慌てる。
「ちょ、ちょっと待って下さい。私も行きます」
 後ろから声が聞こえたが、僕は構わず歩く。きっとメイコはわけがわからないだろうが、すぐに追いつくだろう。僕は先に適当に店に入った。
 そこで前の彼女、千尋に遭遇した。
 少しの間、身体が動かなかった。そうしている間に向こうも僕に気がついた。目が合う。
 僕はきびすを返した。ほとんど無意識のうちに千尋に背を向けていた。胸がきりきりと痛む。
 こんなところで会いたくなかった。
 ここ最近はメイコがいたことで考えずに済んでいたが、失恋の傷はまだ癒えていないのだと思い知らされた。
 店の外に向かって数歩歩いたところで、事態は厄介な方向に進んでいった。
「あ、いました。置いていくなんてひどいですよ」
 メイコが僕に追いついた。微笑みながら近づいてくる。まずい。
 僕は近づいてきたメイコの腕を取り、店の外に出ようとした。後ろで千尋はどんな顔をしてこちらを見ているのだろうか。怖くて振り返ることができない。
 やっと追いつくなり今度は腕を掴まれてどこかへ引っ張られたのだから、メイコは当然、目を白黒させて僕を見た。本当にメイコに申し訳なく思う。後でちゃんと謝ろう。まずはここから離れて、どこか別の場所へ行くのが先決だ。
「え? あの、どうしたんですか?」
 メイコの言葉を聞こえないふりをして歩き続ける。
「……あれ、あの人は」
 だがメイコの発したその一言で僕はぴたりと止まった。店の前、通路の真ん中で立ち止まった僕たちは、他の買い物客たちから煙たげな視線を送られる。しかし今の僕にそんなことを意識する余裕はない。
 あの人? 誰のことだ?
 嫌な考えが頭をよぎる。メイコは僕の後ろにある何かを見て、指を差していた。僕はまるでホラー映画に登場する人物のように、ゆっくりと後ろを振り返った。
 メイコが示していたのは、やはり彼女だった。
 千尋は無表情に僕らを見ていた。一方で、どこか哀れむような、蔑むような目で見られているようにも感じた。
 千尋は目をそむけ、店を出た。
 通路は広くなく、千尋は店の前で立ち尽くす僕たちのすぐそばを通ったが、その時もこちらを気にする素振りすら見せなかった。
──勝手なもので、さっきまでは自分がそうしていたくせに、彼女に同じことをされると心が傷ついた。
 千尋は僕たちから離れようとしている。
「誤解だよ」
 気づいた時には彼女にそう声をかけていた。
 千尋の歩みが止まった。そのまま動かない。どうしたのかと思ったが、肩を震わせているようだった。
 振り向いた千尋は眼に涙をためていた。傍目に見てもわかるくらいに手を固く握りしめ、口を結んでいる。眉間にしわを寄せ、こちらを睨みつけていた。
 千尋がつかつかと近づいてくる。僕は動けなかった。千尋が目の前まできた。殴られるかもしれない。
 後ろから脇腹あたりの服を掴まれた。ぎくりとしたが、メイコだった。僕の後ろに隠れるようにしている。怯えているのがわかる。
「何が誤解なのよ」
 千尋は僕を上目遣いに睨んだ。腹の奥から絞り出すような声だった。背筋に寒いものが走る。彼女は深く息を吸い、吐いて、その呼気に乗せるようにして言葉を続けた。
「前にあなたの家に行ったわ」
 僕は思わず千尋とメイコの顔を見比べた。本当なのか。
「私の身勝手を、謝りたかった。理由を説明したかった。だけど……家から出てきたのは、今あなたの後ろに隠れてる、その子だった」
 吐き捨てるような口調で千尋は言った。
 僕はメイコを見た。メイコは僕の考えを察したのか、「本当です」とかすれた声で言った。「ユキが熱を出していたころのことです。病院に行ってる間に……」
「私が馬鹿だったのね。別れて早々そんな若い子連れ込んでるなんて、まさかそんな男だったとは思わなかった」
「違う」
 僕は思わず大きな声を出していた。千尋はややひるんで、すぐに「何が違うのよ」と強気に聞き返してきた。
「想像するような関係じゃない。彼女を助けたかっただけだ」
「いい歳した男と女が二人、ひとつ屋根の下に一緒にいて何もしてないっていうわけ?」
「してないよ」
 揶揄するような口ぶりの千尋に、端的に答える。千尋は押し黙りこちらを睨んだが、僕はもう一度「何もない。ないんだよ」と、彼女の目を真っ直ぐ見て言った。
 千尋が僕の視線から逃げるように下を向いた。何かを考えているのかと思うと、そのまま僕たちに背を向け歩き出してしまった。
 今度こそ、彼女は去る気らしい。
「僕は君にフラれてショックだった。結婚だって考えてたんだもの」
 千尋の背中に僕は声をかけた。周りには立ち止まりこちらを見る人もいる。そんなもの、かまっていられるか。
 彼女は振り返らない。僕は構わず続けた。聞こえているなら、それでいい。伝えることはひとつだ。
「僕たちはもっと、話し合えなかったのかな。結論を出す前に」
 何も答えずに千尋は歩き、振り返らず、角を曲がり姿を消した。
 

 
 僕とメイコは雨の中、家までの道を傘を差して並んで歩いた。
 傘を打つ雨の音が激しいが、遠くでは夕焼けが覗いていて、空は赤かった。一時的な雨なのかもしれない。
 電車の中も、歩いている時も、僕たちは一言の会話も交わさなかった。
 気を遣ってくれているのだろう。そして僕はその厚意に甘えた。僕の心は千々に乱れていて、雑談のできる気分ではなかったのだ。
「ちょっと、話をしないか」
 家の近く、僕とメイコが初めて出会った公園まできたとき、僕は自然とそう口にしていた。
 よく考えれば、僕はあの時と同じような最悪の気分でいる。
「いいですよ」
 メイコは即答した。そして僕の前に立ってすたすたと公園の中に入っていく。
 見計らったように、激しい雨が一気に引いていった。傘を閉じ、メイコに続いた。メイコがすでにベンチに腰掛けていたので、その隣に座る。ベンチに着いた雫がジーンズに染み込み、冷たかった。
「彼女なんだ」
 しばらく黙って座っていた後、僕は唐突に話し出した。
「さっきの女性は、僕の彼女……いや、彼女だった、かな。君にあった日にフラれたんだよ」
 一度口を開くと、言葉はすらすらと出てきた。あの日の経緯と、千尋にフラれてから、この公園でメイコに出会うまで。僕は話したかったのかもしれない。メイコは僕の話を黙って聞いていた。
 僕は膝に腕を置き手を組んだ姿勢で、メイコの顔は見ないまま、目の前の水を吸ってどろどろになった地面を見つめていた。
 何故フラれたのか。わからない。僕に原因があったのだろう。だとしたら、何故彼女は何も言わないまま去ってしまったのか。僕はどうするべきだったのか。わからない。ショックだった。今まで自分がどうやって生きてきたのかすら忘れるほどに。わからない。どうするのが正しかったというのか。正しい選択って、なんだ? 僕にとっての正しい選択とは、一体なんだったんだ。わからない。何も、わからない。
 あの時の想いが甦り、僕の心は乱れた。頭に浮かんだ言葉を、そのまま吐き出していく。そうしないと苦しかった。
 けれど、いくら吐き出しても苦しさは消えなかった。次から次へと想いが溢れ、僕の脳をいっぱいにする。隣にメイコがいることすら忘れ、僕は話のまとまりもなく筋道もめちゃくちゃなまま、話し続けていた。
 僕の思考がパンクしそうになった時、ふと横から腕が伸びてきた。
 メイコが僕の頭を抱えるように抱きしめた。頭の中でぐるぐる渦巻いていたものが動きを止める。
 メイコは何も言わず、僕の頭を優しく撫でた。
 僕はこみ上げるものを抑えることができなくなった。メイコの身体を強く抱き寄せる。声が漏れそうになるのを必死にこらえ、メイコの身体にしがみつくように泣いた。
 しばらくして落ち着いたころ、僕は静かにメイコの腕を解いた。「ありがとう」と言うと、彼女はにこりと笑った。僕は途端に気恥ずかしくなって、メイコから顔を逸らした。

 陽が落ちてきていた。公園の外、道路にある街灯がともる。世界の色が赤から濃紺へと移り変わっていく。
 僕たちは話もせず、ただベンチに座っていた。公園を取り囲む家々に切り取られた空を眺めながら、流れる時間に身を任せていた。
「……さて、と。そろそろですね」
「うん? 何が?」
「私、帰りますね」
 僕は最初、メイコは「先に部屋に帰っている」と言っているのだと思った。
 もうお別れだ、と言われていることに気づいたのはメイコの台詞を頭の中で二、三度繰り返してみた後だった。
 今のような中途半端な関係はどこかで終わりがくるということを知っていたはずなのに、あたかもそれが見えていないふりをしている、そんな自分がいたことに気がついた。
 メイコを見た。メイコは微笑をたたえた穏やかな表情をしている。
 僕はどうすればいいのか。
 このまま黙って行かせればいいのだろうか。引き留めなくてよいのか。だが引き留めてどうするつもりなのだ──。
 頭の中で様々な選択肢が浮かんでくる。問題を後回しにしていたツケがここにきたような気がした。
 すると突然メイコがにっこり笑って言った。
「ごめんなさい。私、ユキに隠し事をしてました」
「隠し事?」
「例えば、私があの晩ここにいた理由。私がユキの家にお邪魔した理由。……他にも、いろいろと」
 申し訳なさそうな顔をして苦笑するメイコ。
 僕は黙って彼女の言葉を待った。
「一から説明するには今は時間が足りませんけど」
 メイコは言葉を選んでいるのか、あごに指を当てながら少しの間考え込んで、やがて、空を見上げた。
「悲しんでいる人を見たら慰めてあげたいし、寂しがっていたらそばにいてあげたい。そう思うのはきっと、自然なことですよね」
 どこか遠くを見るような目をして、独り言のようにメイコは言った。優しい顔をしている。柔らかな風がメイコの髪を撫でる。メイコの見ているものを僕も見てみたかった。
 メイコと同じように空を見上げてみる。赤と紺のコントラストが広がっていた。
「それが、自分が助けてもらった人なら尚更です」
「え? それってどういう……」
 顔をメイコに戻した途端、突然彼女が抱きついてきて、僕の言葉は中断された。
「うわっ。ちょ、ちょっと」
 慌てる僕を気にもとめず、メイコは僕を強く抱きしめた。引きはがせばいいのか、抱きしめ返せばいいのかわからず、僕は両腕をだらんと下げてされるがままになっていた。
 しばらくそうしていた後、メイコは少しだけ身体を離した。
 メイコの顔がすぐそばにあった。吐息がかかりそうなほど近くに。
「私はまだずっとちっちゃいころ、ユキに助けてもらったんです。ユキが覚えてなくても、私は忘れませんよ。これからもずっと」
 メイコは微笑んで僕を見た。突然のメイコの告白には思い当たることがなく、僕は戸惑った。
「……私、行きますね」
 メイコはベンチから立ち上がると、やけに丁寧なお辞儀をした。僕は返事もせず、ただじっとメイコを見つめていた。
「ひとついいかな」
 これで最後なのだ──そう思ったら、考える前に言葉が口を衝いて出ていた。メイコが、何ですかと微笑みながら僕を見る。
「僕はどうすればいいと思う」
 言ってしまってから、我ながら何とも情けない質問をしたものだと呆れた。
「自分のことは自分で決めて下さい。どうすればいいかじゃなく、どうしたいかです」
 笑顔のメイコ。ずばり言われてしまった。恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分だ。
「それに、ユキはもう知ってるはずですよ。自分が何を望んでるのか。……だから私は、もう帰ることにしたんですし」
「え?」
「周りを傷つけたくないから、『どうするのがいいか』って考えるんですよね。それはユキの優しさだと思います」
 ただ単に優柔不断なだけじゃないかと思ったが、せっかく褒めてくれたメイコを前にそんなことは言えない。
「そんな優しいユキが、私は大好きですよ」
 満面の笑みのメイコに、僕は照れを隠せなかった。
「……そうだ。今日はいっぱい買ってもらっちゃって、ごめんなさい。ありがとうございました。嬉しかったです。大切にします。絶対」
 買ってあげた衣服の詰まった紙袋を抱えたメイコに、僕は首を振って答えた。
 メイコが歩き出した。これで本当のお別れだ。
 僕は座ったままメイコの後ろ姿を眺めていたが、思い立つと、ベンチから立ち上がり遠ざかる背中に声をかけた。
「ありがとう」
 メイコは驚いたように振り返った。そして、いつも僕に見せてくれた無邪気な笑みを浮かべた。
 そのやりとりを最後に、僕はもう声をかけなかったし、メイコも振り返らないまま公園を出て、ついにそのまま見えなくなった。
 僕はしばらくその場に立ち尽くし、日が完全に沈んだころ、またベンチに腰を下ろした。
 ──結局、メイコのことは何一つわからなかったな。
 僕は苦笑しながら深い息を吐いた。
 決断すらできず、最初から最後までメイコに預けっぱなしだった。情けなくて、もう一度溜息をつく。やっぱり優しさとはちょっと違う気がするよ、メイコ。
 手を組んで、目を閉じる。
「どうすればいいかじゃなく、どうしたいか……か」
 僕はどうしたいのか。
 今更気づいたが、僕はそれを言葉にしていたじゃないか。
 もっとちゃんと話がしたかった。
 ゆっくりと目を開けた。携帯を取り出し、アドレス帳を検索。千尋の電話番号を表示する。発信ボタンに手をかけ、そこで動きを止めた。
 出てもらえるだろうか。
 無理だったら、その時はどうしよう。また傷つくかもしれない。
 マイナスイメージが頭に浮かんだが、はっとした僕は自分を笑った。
 そうなったら、また考えればいいさ。
 携帯の発信ボタンを押す。受話部分を耳に当てると、発信音が聞こえ、続けて相手の電話を呼び出す音がした。心臓が鼓動を早める。
 その時、どこかで猫の声がした気がした。
 瞬間、頭の中にはっきりと猫の姿が思い浮かんだ。青みがかった黒色の、小さな猫。幼いころに助けた猫の姿だ。そういえばメイコと初めて会った晩、その猫の夢を見たことを思い出した。
 はっとした。
『まだずっとちっちゃいころ、ユキに助けてもらったんです』
 メイコの言葉が頭をよぎった。僕はすぐに自分の考えを否定した。そんなまさか、ね。
 そして電話が繋がった。
「あ……もしもし。僕だけど……」



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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

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コメント

 はじめまして、tokageと申します。
 ザっとですが読ませていただきました。猫の恩返しはまだまだストーリー化できるジャンルだと知りました。全体的にくどいところがなくていいですね。さわやかでストレートな表現をしようとするとセンスの良し悪しが問われるので、文章をひねって書こうとしてしまいがちです。その点、終盤から走るように読ませようとしているのには感心しました。
 元カノとの修羅場をどろどろ濃く描いて引っぱることができれば、もっと面白くなるのではないでしょうか。というか個人的にそーゆーいやなシーンもちょっとは読みたかった、という不純な理由ですが。
2009-01-23 Fri 04:22 | URL | tokage [ 編集 ]
コメントありがとうございます!!
とても嬉しいです(*´▽`)
ご意見も参考になりますm(_ _)m
これからも精進しますね。
読んでいただいてありがとうございました!
2009-01-24 Sat 18:17 | URL | 暁 [ 編集 ]

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