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諸々日記

雑記を書くスペース → 小説置き場へと変貌中。→再び雑記置き場へ?

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オレンジ

文字数12600字。
ジャンル:ファンタジー

あらすじ:
夕陽でオレンジに染まる街を、アタッシュケース片手に訪れた男。
見晴らしの良い公園で街の写生をしていた時、一人の少女と出会い、騒動に巻き込まれることになるのだが──


作品執筆の背景については、『更新情報』の「read more」をご覧下さい。








 列車ががたりと大きく揺れ、眠りの世界に落ちていく途中だった男は不意に現実に引き戻された。
「やあ、いい色をしてますね」
 ずり落ちそうになっていたブリムハットを直した男は、窓の外の景色を眺めて呟いた。列車には男以外の乗客はいない。彼の言葉は夕日の色で満ちた車中にただよい、かき消えた。
 列車はもうすぐ駅に着く。
 


 男は駅で街の地図を確認し、まっすぐ小山の上の公園を目指した。
 石畳の道路に煉瓦造りの建物、ガス灯などが並ぶ街の様子は、まだまだ木造建築や馬車が主流の男のいた街とは趣が違っていた。産業が発達しているのだろう。駅前の街並みを抜けて住宅地に入る。ここも人々の服装や家屋の造りからその裕福な暮らしぶりが窺えた。
 彼の向かっていた小山は、その住宅地の東側にあった。上空から見ると小山に渦を巻くように造られた道を、アタッシュケース片手に上っていく。
「おお。さすがは〝夕暮れの街〟と名高いことはありますね」
 男は感嘆して声をあげた。たどり着いた頂上の公園からは街を一望できる。柔らかなオレンジの光に染まった部分と、陰になっている部分の黒とのコントラストが一面に広がっている。街の整った造りがそれをさらに芸術的なものに仕上げていた。
「これならあの子も不満はないでしょう」
 男はアタッシュケースを開くと中からカンバスや絵の具などの絵描き道具を取り出し始めたのだが、どこか妙だった。
男が取り出したカンバスは透明だった。どういう素材を使っているのだろうか、はた目には何もないように見えるのだが、木枠にはしっかりと布地が張られている。透明の布だ。
彼はカンバスを立てかけたイーゼルの位置をずらし、カンバス越しに見える街の風景が丁度良いアングルになるように調整した。すると、木枠に切り取られた街の風景がひとつの写生画のようにも見える。
 次に彼はカンバスの上に直接絵の具を落としていった。黒、赤、橙、黄色──。絵の具は透明のカンバスの上に無造作に落とされていく。男は口元に手を当てながら実際の風景と自分の落とした色を見比べ、またいくつか絵の具を足していった。
「これでよし。さて、始めますか」
 男は帽子を取るとアタッシュケースの上にそっと置いた。
 男はまだ若かった。物腰や態度は非常に落ち着いていて堂々としており、人生経験豊富な初老の男性のような風格を持っている。しかし顔立ちは若々しく柔和な、れっきとした青年であった。栗色の髪が風にたなびいていて、整った容貌が夕日に映える。
 青年は革の手袋を脱ぐと、その手をカンバスの上にかざした。すると先ほど落とした絵の具が、まるで意志を持ったように動き始めたではないか。絵の具は木枠で区切られた街の景色をそのままカンバスの上に写し取るように、それぞれが混ざり合ったりしながら色をつけていく。
 しばらくすると完璧な写生画がそこに出来上がっていた。
「うん。いい出来ですね」
 自分の仕事に満足するように頷く青年。手袋をはめると、出来上がったそれを抱え、イーゼルを折りたたみ後片づけを始めた。
 だがアタッシュケースの上に置いたはずのハットがなくなっていた。風に飛ばされたらしく茂みにひっかかっている。
「やれやれ、助かった。なくしたら大変なことになる」
 道具を全てケースにしまい、帽子を拾う。付着した枝や小石を払ってそれをかぶり直すと、しばらくその場で何かを見つめていたが、誰かに促されるかのように突然茂みをかき分けた。
「……おや」
 茂みの中に若い娘がいた。まだいくぶん幼さは残るものの、女性としての色気は充分備えていた。軽くウェーブのかかったブロンドの髪が夕日を受けて紅く燃えている。美しい女性だった。
 見つけられた娘はびくりと驚いたが、彼の顔を見て安心したように深く息を吐き出した。かと思うとものすごい剣幕で、しかし声量は落としながら怒り出した。
「ちょっと、あなたがそんな場所にいたら見つかってしまうでしょう! 用が済んだなら早く行って!」
「これは失礼。小さな子どもが遊んでいるのかと思いました。かくれんぼですか?」
「あたしがいくつに見えるって言うのよ。そんなはずないでしょう。もう、いいから早く行ってってば!」
「おい、そこのお前」
 青年の後ろから男の声がした。それが聞こえた瞬間、娘の表情が一変して怯えたものへと変わった。青年はかき分けた茂みをさりげなく元に戻しながら振り向いた。
「ちょっと聞きたいことがある」
 ぴりぴりとした雰囲気をまとった男が青年に近づいてきた。坂の下にも仲間がいたのだろう、男が声をかけると更に二人の男が集まってきた。皆不穏な空気である。
 しかし青年は気さくに話しかけた。
「こんにちは。どうかしましたか」
「……待て。お前、今何をしていた」
 男は青年の落ち着きぶりにかえって不信感を抱いたようだった。
「絵を描いていました」
「絵? ふん。絵描きか。だが絵を描いているようには見えなかったがな。おい、草むらを調べてみろ」
 坂から来た男の一人がすぐに動いた。男の手が茂みをかき分けようとしたその瞬間、悲鳴を上げながら女が飛び出してきた。追い詰められる前に逃げようとしたようだ。だが待機していたもう一人の男に腕を掴まれ、あっさり捕まってしまった。
「ちょっと、放してよ! やだ、誰か! ……ひっ」
 ナイフを突きつけられた娘は悲鳴を上げることもできなくなった。青年も銃を向けられた。一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに養生を戻すとまるで何事もなかったかのように語りかけた。
「ずいぶん暴力的ですね」
「お前、なんだ。護衛がいるとは聞いていないが。憲兵……でもないだろう」
「僕はただの通りすがりですよ。この街にも先ほど着いたばかりです。この帽子が風で飛んでしまったとき、偶然彼女がかくれんぼ遊びをしているのを見つけてしまいまして」
「違うって言ってるでしょ!」
 娘が思わず怒鳴ったが、再びナイフを向けられて黙ってしまう。
「通りすがり、ね。さて、どうするかな」
 銃を向けた男が青年を品定めするように眺めた。下卑た表情で、青年の反応を待っているようだった。
「見逃してくれませんか」
「駄目だ。見られたからには放っておくわけにもいかないだろう? ま、運が悪かったと思って諦めるんだな。一緒にこい」
 男は青年の腕を掴んだ。が、何を思ったか青年はそれを思いっきり払いのけた。
 男はぽかんとした。そして何が起きたか理解するにつれ激しい怒りがわいてきた。男は青年の胸ぐらを掴み、こめかみに銃を押し当てた。
「ふざけてんじゃねえぞ。死にてえのかよ」
「おとなしくついていったところで、どうせあなた方は僕を殺すでしょう?」
 にこにこしながら言う青年の態度に、男は自分が馬鹿にされていると思ったらしい。青年の首を締め上げると耳元で低くうなるように告げた。
「ああそうだ。どうせお前は死ぬ。だがそんなにさっさと死にたいならお望み通りにしてやるよ」
 男は青年の額に銃口を向け、一気にトリガーを引いた。
 ──が、引いたはずのトリガーがそこにはなかった。
「なっ……?」
「お探し物はこれですか」
青年の手の中にトリガーがあるのを見た男は目を丸くした。その一瞬の隙に、青年は自分の首を絞めている男の腕を掴むと強引に捻り上げた。悲鳴をあげる男。女を連れて行こうとしていた他の男たちが異変に気づいて振り返ったときには、銃を持った男の身体は宙を舞って地面に叩きつけられていた。
他の男たちは色めき立った。各々武器を取り出した。だが青年は手袋を外し、その手を男たちへかざしただけで逃げようともしなかった。それどころかすたすたと歩いてくる。
「動くんじゃねえ! それ以上近づいたら、この女を殺すぞ」
 銃を向ける男。もう一人は娘の首にナイフを当てた。それでも青年は足を止めない。男たちだけでなく、女も驚いた。
「ちょっ……あなた何やってるのよ! あたしも殺されちゃうじゃない!」
「そうですか? そんなオモチャで人が殺せるとは思いませんが」
「おい、勝手に話してんじゃねえ! なめやがって、死ね!」
 遂に男が発砲した。だが「ぱちん」とずいぶん貧相な音がしたかと思うと、銃口から飛び出してきたのは子どもが遊ぶときに使うような豆玉だった。
「な、なんでオモチャ!?」
「だから言ったじゃないですか」
 男はあまりに気を取られすぎた。我に返ったがもう遅い。青年の肘が男のあごを叩き、脳を揺さぶられた男は膝から崩れ落ちた。
 女を捕まえている男の持つナイフもゴム製のオモチャに変わっていた。それに気づいた男が慌てている隙に、娘は彼女を掴む手に噛みついて自分で逃げ出し、青年の背後に隠れた。
「く、ちくしょう。何が起きたかわからんが、たかが優男一人!」
 油断しなければ他愛もないと思ったのか、残った男は素手で向かってきた。
 男はあっという間に投げ飛ばされて気を失ってしまった。
「やれやれ。とんだことに巻き込まれた」
 騒動の最中に落ちてしまった帽子を拾い上げ、ほこりを払いながら青年がこぼした。
「誰のせいだと思ってるのよ!」
 恨みがましい声に振り返ると、女が涙を浮かべながら青年をにらんでいた。
「僕のせいですか」
「他に誰がいるっていうのよ! ……殺されるかと思ったじゃない、ばか」
 必死に泣くのをこらえているようだが、涙が次から次へとこぼれていく。青年は困ったように彼女を見つめていたが、らちがあかないと思ったか静かにその場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待って!」
 坂道を下る青年の背中を娘は呼び止めた。
「お願い、助けて。街にも連中の手先がいる。あたし一人じゃ逃げられないわ」
「あなたのご自宅まではお送りしましょう。あとはご家族にこのことを話しなさい」
 太陽を背にした娘は影をまとっていて、青年の位置からはその表情を窺い知ることはできなかった。
 それでも、彼女の抱く気持ちは伝わった。
「家には帰れないのよ! あたしの家にはもうあいつらが……」
 言いながら彼女は座り込んだ。泣き崩れてしまったようだ。青年は帽子の縁に手をやると深く息をついた。
「ああ、女の子を泣かせてしまった。僕は女心というやつがわからなくて、どうもいけない」



「彼らは何者なんです」
「あたしの家に押し入ってきた賊よ。あたしは父や母があいつらの注意を引いている隙をついて逃げ出してきた。あたしの父は街の警務担当責任者なんだけど、少し前に犯罪者や素行不良者の大規模な取り締まりをしたの。あいつらは逮捕を逃れた連中みたい。仲間の報復にきたって言ってた。……卑怯よ、そんなの。自分たちが悪いんじゃない!」
 娘──アリィは憤っていた。その言葉には、非は相手にあるとわかりながら何もできなかった無力な自分への悔しさもにじみ出ていた。
「……ところでジャン、あたしたちは今どこに向かっているの? これからどうするのよ」
「賊が家を占拠してるとなると、相当な人数でしょう。助っ人を頼みにこれから図書館に向かいます。それよりアリィ、買ってあげた服はどうですか。お気に召しましたか」
「あ、うん。ありがとう、いい服だと思うわ。……ってちょっと待ってよ。助っ人に図書館? どういうことなの」
 青年ジャンはアリィの質問には答えなかった。
 ──ジャンは結局彼女をつれていくことになった。
『僕にも責任はありますし、彼らをぶちのめした以上無関係でもいられないでしょうから』
 というのが彼の言い分だった。
 彼はまず街中のブティックで彼女に別の服を与えた。アリィの服はなかなか豪奢なものだったので、それで街中を移動するのは目立ちすぎるからだ。安物で申し訳ないが、とジャンが言うと『そんなことを言っている場合じゃないことはわかってるわ。それにこういうのは普段からよく着るから』と、むしろ新しい服が手にはいることに喜んでいるようだった。
 そして今彼らは敵に見つからないよう注意しながら街中を進んでいる。
「ねえ、憲兵に連絡した方がいいんじゃないのかしら」
「そんなことをして、連中に気づかれればご家族の命が危ういですよ」
「……っ! じゃあどうすればいいの?」
「憲兵には連絡します。だけどそれは僕が彼らを追っ払ってからです。いいですか、警務責任者の家に乗り込むというのは大仕事です。それだけリスクも高い。危険をおかした見返りが単なる報復だけでは釣り合いません。彼らはきっと、捕まった仲間の釈放を街に求めているはずです」
「あ……そういえばそんなことも言ってたわ」
「万一。……万一報復のためにあなたのお父様の命が奪われるとしても、人質としての機能を果たしている間はないはずです。彼らが交渉しているうちはまだ時間に猶予がある。時間さえあるなら、この街の憲兵がどれほどの実力を持っているかは知りませんが、僕がやった方が助けられる確率は高いと思います」
「ずいぶんな自信ね。何か特別な訓練でも……そうよ。ジャン、あなたさっき一体何をしたの? あいつら……あたしに突きつけられたナイフは確かに本物だった。でもあなたが手をかざしたと思ったら、それはオモチャにすり替わってた。あなた、一体何者なの」
 アリィが訝しむようにジャンを見る。横を歩く彼女をちらりとみて、ジャンは微笑んだ。
「ただの手癖の悪い旅人ですよ」
 二人は図書館の門を開いた。
「アリィ、伝説や神話のコーナーはどこかわかりますか」
「ちょっと待ってて。聞いてくるから」
 アリィはカウンターへと向かった。
 ジャンは上を見上げた。ロビーは大きな吹き抜けとなっていて、今入ってきた門の上にはステンドグラスがはめられていた。石造りの図書館は重厚だがどこか静謐な空気を漂わせている。あまりに芸術的で、ジャンは溜息が出た。できればこんな慌ただしい状況ではなく、もっと落ち着いて見て回りたかった。
「わかったわよ。ここの四階にあるって。……でも、こんな場所で何をするつもりなのよ。そろそろ教えてくれてもいいじゃないの」
「教えてもたぶん理解できないから、見せた方が早いと思ったんですよ。さ、行きましょうか」
 図書館は膨大な蔵書量を誇っていた。数多くの棚に、数多くの書籍が並んでいる。まるで王の前に整然と直立する近衛兵のようだと、ジャンは陶然とした様子でそれを眺めていた。
「素晴らしい。これほどの数の書籍が揃っている場所は初めてです。街の景観も見事ですし、この街はとてもいいところですね、アリィ」
「なに悠長なこと言ってるのよ。あなたが何を探してるのか知らないけど、本が多いってことはそれだけ目的のものを見つけるのに時間がかかるってことじゃない! ねえ、すぐに行動に移りましょう。何を探せばいいの?」
アリィの声がフロアに響く。何人かの利用者が二人を睨むように見てきた。
彼女は焦っているようだった。家族の命が危ないとなればそれも当然だろう。ジャンはなだめるように彼女の肩を叩いた。
「図書館ではお静かに」
「なっ……」
 アリィは顔を真っ赤にしてわなわなと震えていたが、ふと力が抜けたかと思うと呆れたように深い息を吐いた。
「そうね、あなたの言うとおり。まったく、あなたの脱力ぶりには怒る気もなくします」
「『箸にも棒にもかからない男』だともっぱらの評判ですから」
「それ、褒め言葉じゃないわよ。……確かにあたしは力みすぎてた。でも無駄にしてる時間はないのよ。パパを、ママを助けたい。お願い、教えて。あたしはどうすればいいの」
 アリィの顔つきが変わった。毅然とした彼女の姿に、ジャンはにっこり笑って答えた。
「なんでもいいので、挿し絵の入った本を持ってきてください。神話上の生き物の絵が一番いい。彼らはインパクトがありますからね」
「わかった。挿し絵入りの本ね」
 確認するとアリィは小走りで立ち並ぶ書棚の中へと飛び込んでいった。
 ジャンは苦笑しながら、自身も行動を開始した。



 閲覧室の一番隅、周りからは様子が見えにくい一角にジャンとアリィはいた。二人の前の机には、数冊の分厚い本が開かれて置かれている。開いたページには、空想の動物である〝ドラゴン〟や〝ペガサス〟などの姿が描かれていた。中には山羊の頭に人間の身体をくっつけた俗に〝悪魔〟と呼ばれるものの絵などもあり、「これはいいですね。効果がありそうだ」などとジャンは喜んでいた。
「それで、これで何をするの?」
「言ったでしょう。助っ人を頼むんですよ」
 ジャンは両手の手袋を脱いでコートのポケットに突っ込んだ。帽子も取るとそれをアリィへ預けた。くすんだ栗色の髪がこぼれる。
「逆さまに持ってください。中に入れられるように……そうです。そのまま」
「中に入れるって……ああもう、さっぱりわかんないわ。気になって仕方ないから早くして」
 ジャンはちらりとアリィを見た。興味津々といった様子のその顔に、自分の街で帰りを待っているであろう少女の姿が重なった。
 彼は両手を〝ドラゴン〟の絵の上にかざした。
 アリィはそれを期待に満ちた目でじっと見つめていたが、見た目には何の変化もない。不安そうにジャンの顔と手を交互に見たそのとき、ジャンの手が動いた。絵の上にかざされていたその手は、何かを包み込むようにあわせられた。まるで蝶々を捕まえた子どものように。
「帽子をこちらへ」
 アリィは慌てて帽子をジャンに差し出した。ジャンは手の中にある何かを、帽子の中にそっと降ろす。
 そこには、先ほどまで本の中にあったはずの〝ドラゴン〟の絵があった。しかも動いている。見た目は絵の中にいたときと変わらないのに、生きているのだ。
「うそ……」
「続けますよ」
 アリィは信じられなかったが、確かに絵の中の〝ドラゴン〟はいなくなっていた。
 ジャンはそれから次々と絵の中から帽子へと生き物たちを移していった。見る間に帽子の中は空想上の生き物たちの絵でいっぱいになっていく。彼らは暴れることもなく、お互い不思議そうに見つめ合ったりしている。
 あらかた移し終えると、いっぱいになった帽子の上に再度右手をかざしながら、ジャンは語りかけるような口調で言った。左手にはいつの間に拾ってきたのか、あの公園で男の一人がかけていたものらしい黒い眼鏡を持っていてそれを彼らに近づけている。
「いいですか。これと同じ『におい』を持った人が彼女……そう、今きみたちの入っている帽子を支えている人です。はい、こっち向いて。この『におい』の人が彼女の家にたくさんいます。きみたちの仕事はそいつらをこらしめて、捕まっている彼女の家族を助けることです。いいですね?」
 こくりと頷く小さな彼らの姿に、アリィは吹き出しそうになった。
「いい子です。終わったら元の場所に戻るんですよ。では……」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
湧き上がる疑念をこらえきれず、アリィはジャンを制止した。
「気になることはいろいろあるけど……大丈夫なの? この子たち、小さくて可愛いんだけど本当にあいつらを追い払えるのかしら」
 アリィは帽子の中からじっと自分を見つめる彼らを不安そうに見つめ返していた。彼らの仕草は、怖いというより愛らしい。ジャンはそんな彼女を見てにっこり笑った。
「みんな。まずは彼女にきみたちの力を見せてあげましょうか。さあ、行きますよ」
 その言葉と同時にジャンが右手を離すと、すぐに帽子の中から〝悪魔〟が飛び出してきた。
だがそのサイズは帽子の中にいた頃と違い、アリィの身長の二倍くらいの大きさになっていた。それを見たアリィは吃驚して固まってしまった。
〝悪魔〟はその顔をアリィへ近づけ、彼女をにらみつけるように見た。先ほどのアリィの言葉に立腹したらしい。
「きみの相手は彼女ではありませんよ」
 ジャンは〝悪魔〟の身体をぽんぽんと叩いた。すると〝悪魔〟はにやりと笑ったかと思うと、壁を通り抜けて外へと飛び出していった。
「彼なりの冗談だったんでしょう」
「じょ、冗談……?」
「ほら、みんなも彼に続いてください」
 ジャンが言うと次々に帽子から飛び出して壁の外へと消えていく。みな〝悪魔〟と同じように、今までの小さな可愛らしい姿から大きく迫力のあるものへと変貌しながら。
 いくら見えにくい場所にいたといっても、これらは他の人にも見えていた。閲覧室にいた市民たちは度肝を抜かれた様子でジャンたちのいる一角を覗き込んできた。ジャンはそれを全く意に介さず、手袋をはくと彼らの間をすり抜けてすたすたと歩き出した。呆然としていたアリィはそれを見てようやく我に返り、慌ててジャンの後ろについてきた。市民たちは二人の背中を見送るだけだった。
「幻覚でも見てるみたい。でも現実なのよね。……ねえ、あの子たち暴れたりしないよね?」
「壁をすり抜けたでしょう? 触れないからです。彼らは僕が指示したことしかできません。つまりあなたの家に入り込んだ連中に対してだけ実体を持つということです。……ああ、帽子をくれませんか。持っててくれてありがとう」
「そう、ならいいけど。……って、あれ? 髪が」
 アリィは帽子を手渡したとき、彼に起きている変化に気づいた。
 ジャンの栗色だった髪が変色して銀色になっている。
「なんで銀髪に? ……もしかして、さっきの影響?」
 ジャンは帽子をかぶり直すと、首だけ振り向いて言った。
「銀髪じゃありません。これはただの白髪です」


 街は大騒ぎになっていた。彼らは街の上空を飛んで郊外にあるアリィの家に向かった。何体かは街中にいた賊の一味をめざとく見つけ、賊が泡を食っているうちにあっという間に捕まえると、また飛び去ったらしい。多くの市民がその姿を目にしており、街中その噂でもちきりだった。
 生き物たちが一直線にある方向へ飛び去ったので、好奇心に駆られ彼らの後を追う市民も少なからずいたようだ。ジャンとアリィが家に着いた頃には、野次馬がずいぶん集まっていた。しかし、アリィの家を取り囲む柵越しに遠巻きに眺めるだけでさすがに近づこうとしない。
「まあ、そりゃそうでしょうけどね」
 アリィは感心したのか呆れたのかわからない感想を漏らしながらその惨状を見た。
 彼女の家はまさに阿鼻叫喚といった様子だった。家中の壁という壁から神話の生き物が出たり入ったり。しかも柄の悪そうな男たちを追いかけたり、捕まえたり、くわえたりしている。これに近づこうという人はそういないだろう。市民の中には「神罰だ」などと言って拝み始める人まで出てきた。
 男たちは悲鳴をあげながら逃げ回っている。あれはわざと捕まえずに追いかけるのを楽しんでいるのだろう。その様子を見てアリィは苦笑した。彼女の家が郊外の一軒家で、近隣に他の家屋がないのが幸いした。でなければもっとひどい騒ぎになっていたに違いない。
 しかしそんな騒動の中で、市民たちが「もうすぐ軍と憲兵がくるらしい」と話しているのをアリィは聞いた。
「まずいわジャン。これ以上騒ぎが大きくなったら面倒なことになる」
「それもそうですね。この街は素晴らしいところだ。前の街みたいに永久追放されたりするのも困る」
 ジャンは市民が見物に夢中になっている隙に、その手をアリィの家へ向けた。
 すると今まで好き勝手に動き回っていた生き物たちはぴたりと動きを止めた。かと思うと、今までからかって遊んでいた男たちを一瞬で捕まえ、一カ所に集まりだした。家の中からも何人もの賊が捕まえられて出てくる。市民たちは急に動きに変化があったのでこれから何が起きるのか見るため、我先にと押し合いへし合いを始めた。
 アリィは市街へ続く道から軍用車が走ってくるのが見えた。焦りが出てくる。
「ジャン、軍がきたわ!」
「大丈夫、野次馬のおかげであそこからは家の様子はまだ見えませんし、彼らが着く前に終わりますよ」
 果たしてそのとおりだった。
 ひとかたまりになった生き物たちの中から何かがひとつ飛び出した。大きな袋を抱えている。それはとてつもない速さでジャンやアリィ、市民たちのいる方へ向かってくる。
 〝悪魔〟だった。怨嗟の声のようにも聞こえる不気味な音を発しながら疾走するその姿は、〝悪魔〟の正体を知っているアリィでさえ恐怖を抱かずにはいられなかった。
 もちろん、市民たちの恐慌ぶりたるやその比ではない。最初は突然何が起きたかわからずうろたえるだけだったが、走りながら〝悪魔〟が一声吼えると、そのあまりの恐ろしさに集まった市民たちは泣き叫びながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。腰が抜けて立てないものや、跪いて神に許しを請う者もいる。軍用車は逃げる市民の流れに飲まれ、足止めを食っているようだった。先ほどまで夢中で集まっていた野次馬市民たちが急に走り出したのを見て、軍人たちは車を降りて呆気にとられていた。
 〝悪魔〟はというと、柵までたどり着くなり抱えていた大袋を放り投げた。地面に落ちたときに袋が声をあげたのでアリィは短い悲鳴をあげたが、中には賊が縛られて入れられていた。
 はっとして〝悪魔〟に向き直るアリィ。〝悪魔〟は声をあげて笑ったかと思うと、すっとその姿を消してしまった。
「……これも、冗談?」
「のつもりでしょう。やれやれ、いたずら好きたちめ」
 他の生き物たちもいつの間にか姿を消していた。いたずら好きな神話の生き物たち。アリィは思わず笑ってしまった。
「さ、アリィ。早くご家族の元へ。あの子たちを見たのなら、きっと怯えていると思いますから」
「あ! そうだ、パパとママは何も知らないんだわ。パパーっ! ママーっ!」
 アリィは両親を呼びながら走っていった。その声を聞いたのか、すぐに家から彼女の父と思われる人が飛び出してきた。後ろには女性がいる。母親だろう。
 アリィはその姿を見ると両親を呼びながら駆け寄っていった。抱擁を交わす父と娘。続けてアリィは母親とも抱き合って無事を喜んだ。アリィは安心したのか泣いている。
 ジャンはその様子をしばらく眺めていたが、帽子を目深にかぶり直した。
「夕日が眩しいですね。いい眺めだ」
 呟くと、その場をあとにした。
 
 
「なんで何も言わないでいなくなるのよ」
「いえ、せっかくの団らんを邪魔するのも悪いと思いましたので。しかしよく僕を見つけられましたね」
「んー。勘、かな」
 アリィはジャンを駅で見つけた。ジャンは彼女を見て驚いたが、わざわざ自分を追ってきたのかと思うと口元が緩んだ。
 ジャンの乗る列車がそろそろ駅に入る時刻だったので、二人はホームのベンチに座った。ジャンは自分の街までのチケットを、アリィは入場券を買って。
「あー疲れた。ここまでずいぶん走ってきたんだからね。まったく、お礼ぐらいちゃんと言わせてよ」
「気にしなくていいですよ」
「あなたは気にしなくても、あたしが気にするの。ああ、なんだか夢を見てたような心地だわ。でもあれは現実なのよね。あなたって不思議な人ね。……でもありがとうね。パパとママに無事でまた会えたのはあなたのおかげだわ。感謝してます」
 自分の気持ちに素直になるのが恥ずかしいのだろう。顔を赤らめながら言うアリィの姿は非常に微笑ましかった。その姿はやはり自分の記憶にある少女と重なって見える。
「ほんとあの子に似てますね」
「え?」
「こちらの話です」
「……? あ、そうだ。あなた、絵を描きにきたって言ってたわね。あれ本当なの?」
「ええ、本当です。見せましょうか」
 アタッシュケースの中から取りだした絵を渡すと、アリィは「うそー」と大きな声をあげて驚いていた。
「なにこれ。こんなすごい絵見たことない! ……もしかして、これも」
 あの不思議な力で? と問いかけるアリィ。ジャンは笑いながら「さあ、どうでしょうか」と言うだけだった。
「ごまかしてもだめよ。申し訳ないけどジャン、あなたは絵描きには見えないもの。でも、なぜこの街まできたの? しかもこんなすぐに帰るなんて、本当にこの絵を描くためだけにきたみたいね」
「ある人のたっての願いなんですよ」
「ある人?」
 アリィはすぐにピンときたのか、にんまり笑うとジャンをからかうような口調で言った。
「わかった。その〝ある人〟って、あなたの恋人でしょう。お願いされただけで列車を使ってまでここにくるんだもの。並の関係じゃないはずよ」
「並の関係じゃない、というのはあってますけどね。恋人なんてとんでもない。彼女と僕は言うなれば主従関係です」
「え、主従?」
「ええ。あの子はたぶんあなたより二、三年下ですけどね。今回は『絵を描いてくるのと私に殴られるのどっちがいい?』と天使のような笑顔で聞いてくるものですから、断ることもできないでしょう」
「なんだか、ずいぶん変わってるわね」
「彼女はあなたによく似てますよ」
「……ん? どういう意味よそれ!」
 列車がホームに入ってきた。ジャンは乗り込んで席につくと、窓を開けてアリィを見た。
「またくる?」
 風が強くなってきた。たなびくブロンドの髪を手でかき上げながらアリィはジャンを見ていた。ジャンの髪も風に撫でられる。彼の髪は元の栗色に戻っていた。
「ええ、できればそうしたいところです」
「じゃあ、今度きたらうちへいらっしゃい。歓迎するわ」
「ありがとう。そのときはお言葉に甘えさせていただきますよ。……おっと」
 ジャンの上着の隙間からちらりと見えたものに、アリィは小さく声をあげた。口元を抑えながら慌てて周囲を見回す。誰も彼女に気を払っている者はいなかった。
「それ、どうするつもり?」
「なに、数日借りるだけですよ。終われば元に戻します。あの子はこういうのが好きでしてね」
 アリィはやれやれといった様子で肩をすくめた。だがその顔は笑っている。
「ほんと、あなたって何なのかしらね。落ち着いてるかと思ったらまるで子どもみたいだったり。ねえ、教えてよ。本当はあなた、何者なの?」
 列車が汽笛をあげた。出発の合図だ。ジャンは帽子を頭に乗せた。
「言ったじゃないですか。手癖の悪い旅人ですよ」
 列車が動き出した。遠ざかる列車が見えなくなるまで、アリィは手を振っていた。
 
 
「ほら、大人しくしなさい」
 ジャンの懐の中には、彼が絵から連れ出してきた生き物たちのひとつ、〝ドラゴン〟がいた。次々と移り変わる窓の外の景色に興味津々の〝ドラゴン〟を、ジャンは頭を撫でてなだめている。その間にアタッシュケースから、描き上げた街の絵を取り出した。
 ジャンは〝ドラゴン〟を手のひらに乗せると、それを両手で包み込み、絵の上に落とすようにそっと開いた。
「これでよし。彼女に見せるまで辛抱してくださいね」
 夕日に染まる街並みの絵。そこに、オレンジの空を太陽に向かって飛ぶ、雄壮な竜の姿があった。

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